無価値の価値は
ちょっと前に 5ch まとめに突然漫画に刺さらなくなった 36 歳のスレが立った。 36 歳など既に過ぎ去ってしまったが、漫画オタクである私にとって他人事ではない内容。 気になって読んでみたら結構な勢いで憤慨してしまった。 10 代、 20 代でハマっていたものに 30 代でハマれなくなるというのはよくある事だし それ自体大したことじゃないのだが、私が憤慨したのはハマっていた漫画がなくなったら 自分に何もないとショックを受けていたことである。 まず、 30 代も後半に入ろうとしているいい大人がそんな子供じみた発想をするのが腹立たしい。 価値観なんてその都度変化していくものだし、 10 代で良かったものが響かなくなるなんてよくある事である。 そう言う経験を体験しなかったのか、あるいは見て見ぬふりをしたのか。 何にせよ 36 歳でそう感じるというのはいささか幼稚すぎるのではなかろうか。 そしてその気づきからつながる自己否定、これも幼稚で腹立たしい。 何より過去に読んだ作品へのリスペクトのなさが余計に腹立たしくてたまらなかった。 『昔刺さった漫画が刺さらない自分=無』とは『昔刺さった漫画=無』と言っているようなものである。 その作品を読んで生まれた感情や発見などあっただろうに、それすら忘れてすべてを『無』にしまうのは嘆かわしい事である。 別に漫画好きなのを誇りに思えなどと思わない。 ゲーム、漫画は無駄なものという思考や哲学はあっていい。 それは自分で決めるべきことで他人に強制されるものでもない。 ただ、過去に付けた価値を自らの手で無価値にすること、自分の価値を他の物に代替する思考が気に入らないのだ。 私の哲学だがそもそも人生に価値などなく、そこに価値を付けるのは自分に他ならない。 路傍の石に価値を見出す事が我々の人生と言ってもいい。 ただ、価値は変動する。立場や状況によって言う事や考え方が変わるのが人なのだから致し方ない。 だから絶対的な自己同一性、あるいは変動による状況を楽しむ、受け入れる強かさが生きる上で必要な事である。 きつい言い方をすると大人なんだからそれ...