善悪の彼岸

ニーチェだと思った?ざーんねん!ゼノサーガだよ!
本当に残念でごめんなさい、大崎です。

すっかり秋めいてきましたね。朝はやや肌寒くなり段々と大崎が苦手な季節の足音が聞こえ始めてきました。うぅ、寒いのは苦手だyo!

でも秋は好きな季節ですし、先日トールくんともカラオケへ行き林原めぐみさんの引っ越しを歌うという秋の儀式も無事にこなす事ができました。
この歌は本当に大好きで、夕映えや季節の花、不安や希望など色様々な情景が浮かぶ歌詞とリコーダーの音色が相まっている名曲です。しっとりとしすぎてて、ややカラオケ向けじゃないけど一人の時とかに浸って聞いてもらえたらなぁ〜と思います。


さて。タイトルはテキトーに思いついたものを書きましたが今回は少し思うことがあったのでそれを綴る事にします。

先日、新スーパーマンがバイセクシャルで新たな恋人が男だと発覚する新作がマーヴルから出たので色々な所から論争と言う火が上がっているようです。

正直エンターテイメントと言う枠で見るなら同性愛とかポリコレで騒ぐのもつまらねー話だと思うのです。そして読み手達を意識しすぎて作品をダメにしてしまう事はとてもよくある話。お客様は神様ですがクレーマーはお客様じゃないんですよ。そして読み手には読む権利と同じく読まない権利だってあるわけです。もう少し言えばそもそも攻撃する権利は誰も与えていないとも。

とは言え、わざわざ既存キャラクターに何でゲイ属性を追加させて迷走させるのはどうかと……。前後の流れは知りませんが、結構センシティブな内容なんだからある程度伏線を張ってやるべきことでしょうこれ?しっかりと伏線だと分かる伏線があれば気が付けなかったファンが悪いし、いきなりゲイでしたと設定したのなら製作者が悪いと思う。

スーパーマンがゲイだからダメという訳ではないけれど、あからさまなセクマイ配慮的な感じが否めないのでそこら辺が批判対象だと思う。昔から述べていますが、製作者や作者の意思がはっきりと見えてしまう作品はよろしくない。




それはそれとして、製作者がスーパーマンをゲイにしたのはしゃーない。公式設定だからとは思うけれど、やっぱ人気作なのでそこら辺の論争は仕方がないのかなぁ……。メルブラおじさんが今のメルブラを批判するのと同じことかぁ。


しかしこの状況はこれだけ多様性、多様性と言われててもまだまだ受け入れられてないのが現状なんだと痛感させられます。

多様性とは違うものも受け入れる寛容さだと思います。ゲイなのは嫌というのもゲイで歓喜したのもそれぞれがあるからこそ多様性なのではないのでしょうか。どちらかの意見がNGという時点で多様じゃなくなるわけですし、互いに互いの意見を尊重し合うという構図は美しいじゃありませんか。

けれどそれ以前にゲイを嫌いな人に受け入れろ、差別するなと言うのはそのゲイを嫌ううその人の嫌う権利を奪っていのではないのでしょうか。
どんなものを好きでもいいと言う事は同時にどんなものも嫌いになってもいいと言う事と同意だと思うのです。人間は理論ではなく感情で動く生き物なので辛いとは思いますが、好き嫌いばかりは致し方ないのです。


ただ、どんなものも嫌っていいという自由を許すという事は攻撃して言いという自由も許す事につながりかねないので、実は多様性という言葉は便利である反面危険でもあると。
結局、人間は自分の身が可愛いので攻撃されるとなったら多様性なんて言ってられない。下手したら殺されちゃうもんね。
ただ、攻撃されたから反撃が許されるのかとなってくるとそこはまた別の話。ただ、攻撃を非難する人間が誰かに攻撃をした瞬間、その人は非難した人間と同格に落ちる。そこだけは意識してほしいなぁと思います。何と言うか、意識だけは気高く持ってほしい所です。

あぁ、この手の話は本当にとりとめがなくなってしまうので難しいですね。
まとまりもつかなくなってきた所で今回はこの辺で。

















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